元カノに言われて”ハッ”とした台詞【ADHDの僕は不良だった】

あなたはADHDを知ってますか?発達障害のひとつ言われる精神疾患。今回は、昔の僕のことを書きました。中学時代。悪戦苦闘しながらもその自身の”性質”と向き合うきっかけになったような、そんなエピソードです。すこし思い出してみました。

ー「ごめん」じゃなくて「ありがとう」でしょ?”ハッ”と 僕は変わった。ー

ダメな部分ー。
僕は、自身のパーソナリティにダメな部分が多すぎて、何かと「ごめん」といって、甘んじていた。

あわよくば許してもらおうか、認めて貰おうかと考えることが多かったんだとおもう。今はマシになったかもしれないけど。

ーぜんぶぜんぶ病気のせいにしていたー

僕はADHDだ。中学のころ非行に走ったことがきっかけで、色々あり医療機関の診察を勧められ発覚した。

この発達障害の厄介なところは、ふつう、当たり前にできるように思える事がこなせずに、ただ単にだらけてるだけに見えること。

色々と評価されない。怒られる。ともすれば、ただのだれけたやつにしか見えないし、そう思われたら、確かにそうだ。としか言えない。筋金入りの怠けものとも確かに言えなくもない。僕はダメなやつだ。と思うようになり、鬱を併発する人も多いらしい。

これは、本人としては、つらい。

理解されないと仕方ないけど、とにかく当たり前のことが本当にこなせない。

ー宿題がこなせない 勉強はできるー

自慢じゃないけど、僕は”宿題”をちゃんと提出したことが、ほぼ無い。提出期限を守ったことは、2,3度しかない。

勿論、宿題というものが課題として与えられたことは普通だから、回数にすると3,000は宿題を出されたが、やはり2,3度しかこなせなず、結局このまま学齢期を終えた。問題児としてはもはや天才的だ。

真面目な教師や両親は、僕が宿題をやるように指導する。それでも変わらず、やはり0.1%の提出率なのだ。逆によくその状況が変わらないなと言われそうなほどだと皮肉を言われたりした。そしてお前はバカかと。まあ、そりゃそうだろう。皮肉の台詞もごもっともだと思う。

でも本当は、宿題が難しくて出来ない訳ではない。むしろテストで点は取れた。苦手に感じたことは(というかできなかったことは)課題に取り組む、集中する、期限に間に合わせる。これがとても無理だった。面白くなかった。とにかく興味が無かった。

勿論、宿題なのだから提出しないと怒られる。先生もしばらくすると、憤懣やるかたなしといった状況になってくる。それもまあしかたない。

そして、幾度と注意しても改善の余地が無いということで、クラスメイトの前に立たされ、公開処刑みたいに怒られる。みんなにバカにされる。それでも宿題に取り組むことが出来ない。ADHDやその他の発達障害の人は経験があるかもしれない嫌な記憶のワンシーンだ。

ーそして小さな社会に馴染めないー

10代半ばに入ると、体は大人になってきて、声は低くなり、心は未熟でも、物理的な肉体の強さだけは大人に近付く。

そして、僕はグレた。非行に走った。今までのことを全部大人と世の中のせいだと思った。

あとで少年課の刑事が教えてくれた話によると、これは、ADHDの特性として良くあるケースらしい。衝動的にスリルを求めるためだとか。

とにかく、こうして反社会的なパーソナリティを演じて、不良友達とつるむようになった。中学という小さな閉鎖的な社会では、不良を演じることで、自己の存在を主張し、ローティーン、ミドルティーンエイジの未熟コミュニティ内で武力行使をするように、我ら不良の居場所をむりくり開けさせて、容認させた。

彼女が出来るのは早かった。

同時に、夜遊びをはじめるのも早かった。

門限が守れない。帰りが遅い。朝起きることができない、こんな生活になってくると、彼女を夜中まで連れ回すもんだから、自分の両親、それから彼女の両親に叱られる。今思うとたくさんの人に迷惑を掛けたと反省している。

彼女のこと困らせた。

例えば、時間について。2人で遊ぶ時、待ち合わせに間に合わない。ついつい、トランスを聴いたり、ギターを弾いたり、ケータイであそんだり、すぐ目の前のことに夢中になり、約束を本当に忘れてしまう。気付けば、待ち合わせを過ぎた時間。

ーひたすら何かにキレた。ぜんぶぜんぶ”大人”と”社会”が悪いと思ったー

あいつ、待ち合わせにこない。
僕が遅れれば彼女は、当然怒る。これに僕はなんとど逆ギレして、更に怒った。怒鳴り散らした。
彼女に限らず、ほかの相手や大人にもそう。親にも、教師にも、みんなにキレた。他の中学の連中と喧嘩をして、地元の警官と顔を覚えられた。
最低だと思う。思い出して恥ずかしくなる。クズ野郎そのものだ。

ー幸なことに15歳をピークに落ち着いたー

それから、診療を勧められ、投薬療法をいやいやうける事になる。結局それがきいた。

ここまでのエピソードは、10年以上も昔に経験したことだ。

以来、キレることはなく、日常生活をおくり、社会にもなんとか適用している。友達は、そこそこ多いと思う。
10年以上たつと、発達障害も自分のパーソナリティのひとつとして、ある意味俯瞰したようにコントロール出来るようになる。

メンタルヘルス通いは本当は嫌だけど、今のところ続けないといけない、筋金入りのメンヘラだけど、必死にそれを覆って、なんとかやっている。

大学を卒業して、ちゃんと就職できた。これは、両親の助けと、理解者があってのことだと感謝している。

ー久しぶりに元カノと再会して言われたことー

「”ごめん”っていわないで、”ありがとう”にしてみよ」

こういわれて、心に残った。

そっか、”ごめん”じゃなくて、”ありがとう”か。僕はぜんぶぜんぶ、”ごめん”、と言って、誤魔化していた。
“ごめん”と言って、甘える場面があった。
相変わらず、変わり者とは言われるけど、まんざらでもない。

ーADHDの理解が深まるといいなと思ってみたりー

ただ、これが、発達障害の落ち着いている状況が崩れてしまったらー

こんな不安はいつのときも付きまとうから、僕はこれと共に生きていかなければならぬ運命なのだと思う。

それでも、できるだけ、「ありがとう」と言えるように頑張りたい。

スポンサーリンク
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。